世界はあなたのコレクション

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焦点と構図

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(つづき)

これまでぼくは写真を撮ったことがあまりなくて(ほとんどないと言ってもいいくらい)、どこかへ旅行に出かけたとしても、一枚も撮影しないまま帰宅することが珍しくありません(と言うよりそれが常態)。

それは写真に興味がないからでは決してありません。ではどうして写真を撮らないかと言えば、第一にめんどくさいから、第二に難しいからです。

めんどくさいというのは、カメラを持ち歩くのがめんどくさい、風景を愛でているときにカメラを構えなくてはいけないのがめんどくさい、現像するのが(パソコンに取り込むのが)めんどくさい、など色々な面倒臭さの集積を指しています。

でも今回はそうした億劫を吐露するのが目的ではないのでこれは措くとして、第二の理由に話を進めます。

難しいというのは、ぼくの少ない経験上での見解ですが、たぶん写真は難しいと感じていらっしゃる方は大勢いるはずです。ただ、ぼくが言う難しさは技巧的な意味でのそれではなく、風景を切り取る難しさでした。

自分の写真には構図がない、そうずっと思ってきました。たぶん眼前の風景に構図を見抜くセンスが絶望的に欠如しているからだろう、そう考えてきました。

8月13日、久々に撮った写真をチェックしたとき、改めてそう感じました。しかし何枚か撮影した後に改めて自分の写真をチェックしてみたとき、これは自分の眼で見ている風景ではないことに気が付いたのです。

たぶん写真を一度でも撮ったことのある人にはあまりにも当たり前のこと過ぎるでしょうが、眼前の風景と撮影された写真とがまるで違っていることに、恥ずかしながらぼくは気が付いていなかったのです。

これが難しさだ、と思いました。そしてその難しさの原因を探るべく、風景と写真とを見比べました。すると両者の違いがすぐに分かりました。焦点の有無です。眼で見ている風景には中心があるのに、写真には中心がないのです。視野には、ざっくり言って中心視野と周縁視野があります。例えばぼくらが文字を読むときは中心視野で文字を見ています。周縁視野で文字を読むことは極めて困難です(ほとんど不可能と言ってもよいです)。理由は申し上げませんが、ぼくはそのことを「普通の人たち」よりもずっとよく知っています。

網膜で捉えられた風景は、こうして自然に中心視野あるいは周縁視野に属した風景に振り分けられていますが、写真はそうではなかったのです。全てが中心視野、あるいは周縁視野の中に収まっています。つまり中心と周縁との境界が溶解していて、とても平面的なのです。したがって奥行きが感じられず、現実の世界とは全く異なる世界が立ち現れていたのです。

だから写真に現実感を付与したければ、それを立体的に表現すればよい、そこに焦点を持ち込めばよい、ということが分かりました。焦点が一箇所に定まれば自動的に構図も生まれます。

写真の周縁を薄暗くすることで、平面的な写真に焦点が生じます。

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新宿御苑から眺めるドコモタワー。

(つづく)