世界はあなたのコレクション

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赤い花

今月2回目の新宿御苑に行って参りました。

前回に比べれば今日はそれほど暑くないためか(というより先週が暑過ぎた)、それとも今ちょうどお盆休みの時期だからか、いずれにしろ今日は人が多かったです。

レストランの中も先週より賑わっていましたが、幸い窓際の席を選ぶことができました。そして窓の外に目を遣り、花壇に咲く花々を見つめることにしました、前回のように。

ブログには書きませんでしたが、先週もぼくは窓際に着席し(全く同じ席ではありませんでしたが)、ミツバチのやって来る花壇を観察していました。そのとき気が付いたのは、このミツバチは黄色の花の蜜だけを吸い、赤い花には見向きもしないということです。なぜだろう、と訝しみつつ、疑問をそのままにして一週間が過ぎ去りました。

今日こうして窓際に座って花壇を目にするときまで、このことはすっかり忘れていました。忘れていたことさえ忘れていました。完全な忘却。

けれども記憶は不意打ちのように甦り、再びぼくは花壇の様子に目を凝らしました。やはりミツバチは黄色い花にだけ寄って来ているだろうか、と。

どうやら前回の観察は正しかったらしい――今日もまたミツバチたちは赤い花を避けるみたいにして黄色い花にばかり集まってきます。どうしてだろう、とよくよく集中して見てみると……あっと思いました。

赤い花だとみなしていたのは、まだ蕾なのです。この花は内側が黄色く、外側が赤いらしい。だから開花しているときは黄色い花に見えますが、まだすぼんでいるときには赤い花に見えるのです。今日ぼくは先週よりも花壇に近い位置に着席していたので、ようやくその事実に気が付いたのです。

するとミツバチが黄色い花にだけ寄って来ていたのは至極当然だったと言えます。赤い花などそもそも存在しなかったのですから。

こうして因果の円環は閉じられました。

しかしこのときふと思ってしまったのですが、今日の「発見」はひょっとしたら不要な発見だったかもしれず、世界というのはこのような「発見」と未解決の「謎」によって織り成されているのではないでしょうか。

世界にはまだこうした「赤い花」(それは実際には不在である花)が咲き乱れているような気がしてなりません。けれどその架空の花はいつか誰かに摘み取られ、その指の間で溶けてゆきます。

赤い花がすっかり摘み取られた野原は、まるで笑いの消えた顔のようで、いささか寂しい。たとえその地に何が建設されようとも、赤くはにかむ少女たちが行方知れずになった所には、ぼくは住んでいたくはないのです。

赤い花はまだ今も至るところに咲いているはずです。叶うならば、それを摘み取ることを「発見」と呼ぶのではなく、それに名前を付けることを「発見」と呼びたいものです。

(つづく)